3月28日
今日は学会で発表.多少手際がわるかったけれども,前の二回にくらべればまあ良い感じ.
さて,この日記も長い間ご愛顧いただきましたが,今日をもって更新を停止することとさせていただきます.結局最後まで,自分のための日記で終わりました.もう昔のことと言ってよい,この日記を書き始めたときから,私を追いかけ続ける日記というもの,これは本当に不思議です.いつも今なのに.読んでくれたみなさん,ありがとうございました.それでは.
3月21日
明日は卒業式だ.
有形無形の思想の断片が,或る日は西から東へ,また或る日は東から西へ,飛び去ってゆく.あるときは波間に漂う藻のようであった.しかし私はある道を進んできた.これは大変なことなのだ,とあえて言わせてほしい.聞く人はいなくても.ここしばらく思うに任せぬことが多く,何もかも分からなくなったが,何もかも分からないからこそ学問があるのだという.ここまで学ぶことができたこと,これは私にとって何にも換えることのできない根源的なことだ.
3月17日
「世の中の閉塞感」を表すテレビの灰色っぽいイメージ映像は有害だ.
世界の一隅に囲い込まれているという観念から,思考停止することなしにどうやって脱出できるかを,ようやく考え始めているというのに.
3月14日
目の前のことから,着実に.
3月9日
今日はTAをやった.
NHKスペシャルのポアンカレ予想解決物語(再放送)を,両親と,私が適宜解説を加えながら見た.
番組の内容としては,Smale の仕事の説明がいちばん苦しかった?
3月5日
社会科見学に行った. 最近は,やけどがきっかけというのも何ではあるけど,森毅先生の本を読んでいる.
3月1日
たとえば百年後,僕はいない.僕を知る人もいない.僕の書いた字もないかもしれない.
そして,そこには百年後でもなんでもない当たり前の日常が展開している.
百年後の未来としてではなく,ここで体験しているような「いま」としてすべてが展開するのだ.
それを見届ける主体としての僕はないと信じ,にもかかわらず上のことも同時に信じることができるのだ.
まことに不思議なことだ.
2月28日
森毅先生大やけどというニュースがあった.なかなか,ただごとではなさそう.
僕もこれからいろいろあると思うけど,森先生のエッセイみたいな気楽さを持っていたい.と願う.
自分の現状と展望について考えうることは一通り考えてみたのだが,当然のことながらしんどい.
こんなことを研究テーマにしたつもりは一回もないが,もう少しで一本の論文くらいになるだろう.
そういう訳で僕の話はいつも面倒なので,もういいかい,まあだだよの応酬だ.
僕がいて,数学者のなす世界があって,僕の立っているところはなかなか微妙なところだ.
僕の興味のあることを一所懸命に語っても,そうですか,とにべもなく言われ,まあそんなものだと思う.
そうして気が付かないうちに,僕はきっと逆の立場に立っているのだけど,お許し願いたいと思う.
2月26日
風邪気味だが,風邪もよい.
花粉症だが,鼻で息が出来ない不自由もまたよい.
この調子で,何もかもよい,になってしまったらどうしようか.
焼き魚の食べ方は
「おもて面の身を食べる→骨をはずす→うら面の身を食べる」
インヴォリューションは少しかっこわるい.
2月16日
今日の夜は,数学ではないある理系学問をやっている人と飲む機会があった.
結局,数学者は日々何を思い研究しているのか,幾何学はどのように発達してきたのかについて,
内容のあることは一言も言うことができなかった.これまで何をしてきたのかと思うとひたすら唖然とする.
私が述べることができたのは,数理棟では,毎日ひたすら静かで何も起こっていないようであるが
どういう理由でか日々研究結果が「生産されている」という,このいつまでも不思議な事実だけであった.
2月15日
東京ミッドタウンで堂々と数学書を広げることの可能性を探求する.
2月10日
今日は郵便局でお金を振り込むのが大変で,一日がそれだけで終わったかと思うほど.
ところで電球色も普段使いにできる気がしてきた.それどころか結構いいかも?
2月9日
今日はつくばへ.報告したい内容はあったのだが,結局それとは関係ない討論になった.
面白かったしそれでよかったと思う.
2月8日
机の蛍光灯が切れたのを機に,電球色の蛍光灯なるものを取り付けてみた.
こいつは電球のようなオレンジ色の,しかしどこか青白さを残した光を発する.
部屋全体は普通の蛍光灯なので,どこか変だ.部屋の照明と机の照明が
微妙に違う色でもって互いの個性を主張して無用のいがみ合いをしているのだ.
ただ電球色蛍光灯も部屋を暗くして付けてみると,まあ悪くない.
電球色はこの雰囲気を味わうためだけに使うことにして,ふだんは普通の蛍光灯を使うことにしよう.
2月6日
論文審査会.
スーツを着ていった.が,着る人は珍しかったようだ.
もう気付いても遅いことだが,数理棟内で行われる諸々の行事は,すべて普段着でよいようである.
OHPでの発表は,うすうす予想してはいたが,途中で時間切れになって,何とも無残なことになった.
最初の「歴史的背景」のところを十分早くこなしたので,残りは自分のペースでゆっくり話そうと考えていたら,
これが実に甘い考えであった.自分のペースで説明しようと考えた瞬間から時間が滝のように経過していくのだ.
発表は一方通行であり,自分の言うことを相手が聞いてくれているか大変不安になる.だから私は質問が多いと,
それがどんなに辛辣なものであっても救われる.「こういう研究では,○○多様体になるというのが目的なのですか.
あるいは,それから先には何かあるのですか.」という研究の意義を問う本質的質問があり,良かった.
しかしいつもの癖で,「残念ながら,その先は考えていません.位相的に分かること自身が目的です」と,
残念ながらをつけて返答してしまった.不要に自嘲的な発言を避けようとしても出てしまいイヤになってしまう.
今年度から公開審査ということになっていて,「一般客」はたしか4人いたと思う.けれども,これは多いほうだったらしい.
これまた自嘲的に,「私のしていることには誰も興味がないから,たったこれだけしか来なかったのだ」と思っていたのだが….
2月5日
OHP書きをした.そういえば,OHP対応の装置がなくなってもOHPシートをスキャナで読み取るという手はあるような.
Manifold recognition problem というのがあるそう.
抽象的な位相空間がホイと与えられたとき,それが多様体であることをどうやって識別できるかという問です.
これに対する解答として,$n\geqq 3$ のとき,位相的に等質な $n$ 次元 ANR は位相多様体である(逆は明らか)
という予想があり,Bing-Borsuk 予想というらしい.
何でこんなことを書いているのかというと,これについて,専門の方が外国から来て講演されるとのこと.
興味のある方(で連絡先をご存知の方)はご連絡くださいませ.
2月3日
4次元トポロジー集会で得たものは,OHPは前時代的であるという観念から脱出し得たこと.
これからOHP教信者として,OHPの可能性を追求する.その次の目標は,OHPに対応していない講演会場は前時代的であると発言することだ.
2月2日
きょうは筑波に行って課題「A」についての報告.微妙な間違いが見つかったが切り抜けた模様.
Wikipedia のスイーツ(笑)についての洞察は深いと感じる.
2月1日
自分以外にとってはゼロであることにひとりで踊ったり騒いだり喚いたりするのでおかしくなる.
自分さえいなければ問題はどこにもなくて,まさは私が私から逃れられないそのことのみにより「問題」が発生しているので,本当におかしくなる.
そんなときに「銭ゲバ」を立ち読みする.自分の考えていることがいかにも無限小でいたたまれなくなってくる.
1月31日
昨日の話のつづきを聞かせていただく.証明の戦略の本格的説明に入ったようだが,勿論もう何も分からない.
けれども,講演のあとで先生方との質疑応答を見学したことはそれ自体で何か得るところ(言語化は難しいが)があったと思う.
M 君と,最近している数学についての話をする.ちょうど「位相のこころ」を持っていたので,M 君の好みかと思い渡す.
1月21日に頑張って考えたことがまだ間違っていたことがわかり修正.それでも複素積分は1になってくれた.
1月30日
事務的な用事で大学に行き,おもいがけず筑波大の B 君に会う.
GCOEオープニング研究集会が開かれていること,超がつく有名な方々が来られていることを大学で初めて知る.
僕は全くの素人で,しかも「ついで」であって申し訳ないような気もしたが,お話を聞かせていただきました.
1月29日
大概,数日前の日記は自己嫌悪のカタマリである.「研究集会の懇親会というのに出るのは嫌いではない」とか,生意気言うな.
こうして,自己嫌悪から逃れるために,永久機関のごとく日記がずるずると書き続けられる.
今日は正規の授業でのラストTA.しかし,まだデスマッチが残っているという.楽しみだ.
1月28日
今日は起きるのが遅かった.結局11時になってしまった.
体全体が生ぬるく,頭がクリアにならない感じがしたので,もう少し寝ていたかったが,
「このままではだめになってしまう,だめになってしまう」という内なる叫びに意を決し布団をぬいだ.
今日は喫茶店で勉強したほかは,どこへも出掛けなかった.
最近抱えている,出来る見込はあるが一寸考える必要がありそうな課題「A」と「B」というのがあって,
「A」の方は一昨日ホテルの中でほぼ解決したように思われた.今日は「B」の方を考えている.
何となく考えていたことをスケッチブックに水性ボールペンで詳しく書き出してみている.
この方式はペンが紙を捉える感覚が僕にとって大変気持ちがいい.
1月27日
この研究集会は三日間の日程で,僕が出るのはそのうち最初の二日だけである.
僕は研究集会の懇親会というのに出るのは嫌いではない.話す相手がいなければ,
一人じっとビールをちびちび飲んで数学話や世間話に耳に傾けるのもまた楽しいと思っている.
今回の懇親会は,帰宅の途についている今夜にあるということで,
ほとんど懇親会に出るのは不可能とあきらめていたのだが,直前になって懇親会の日程詳細が明らかになってくると,
最初の45分程度なら,参加できる可能性が微かに浮かび上がる.では,短時間しか出られない代わりに
会費を大幅に値引きしてもらうという条件で参加できないか,幹事の先生と交渉してみればよいとも思いついた.
実際その考えがどう発展したかといえば,「そんな時間じゃ最初の料理も満足に食べられないし,大した話もできないので意味がない」
とか「第一,懇親会まであと2時間しかないし,今更交渉したって,迷惑をかけるだけ」とか
「懇親会に出ないことに一度は決断したのに,それを変えようと考えるのがそもそも面倒」とか,
連続して講演を聴きただでさえ回らない頭でぐるぐる考え逡巡するだけだった.
この日の私は挙動不審っぽいことを色々したが,ほとんどこの逡巡によるものである.そして,結果としては
「いまさら遅い」として,懇親会に出るのはやめてしまった.実につまらないことに頭を悩ませたものだ.
1月26日
ところで僕の書くことは誰の参考にもならないのではないかと思う.
僕があれこれ書き立てていることに,何の関心もない,けれども読んでしまう,という読者が多いと,思われる.
ある人と別の人の資質と環境はおそろしく違っていて,まるで異なる感受性を持っていて,したがって,
他人からの助言の役立ち方は非常に限られている….少なくとも学問については.
更に個人的なことをいうと,僕は(選択時の自分の感受性にしたがって)マイナー分野を選んだので,
数学をしている人が(数学内部での)専門が似ているという理由で役立つということはほぼ無いと考えられる.
とはいえ,この日記はどこまでも自己満足のために存在しているからどこにも問題はない.
東京発7時10分の「のぞみ」に乗って広島へ向かう.もちろん帰ってきてから,遡って書いている.
7時10分というと,中高のときの通学の電車の時間が7時9分だった.これは自宅の最寄駅の出発時刻だから,
その頃よりよほど早起きしてきたことになる.とはいえ,僕は新幹線で寝られることを完全に当てにしていて,
したがって,あまり寝ていない.正確には1時間くらいしか寝ていないから,定義に依っては早起きには該当しないかもしれない.
この日は,S先生の講演が印象に残った.2次元可微分多様体の無向同境群(Z/2Z)がモース関数を用いて非常に初等的に求まるということ,
3,4次元の場合にも,モース関数の代わりに用いられる安定写像なるものの特異ファイバーの分類に帰着できることが紹介された.
(何気なく言っていることが実際には大変むつかしいのだろうが.)またK君の発表を初めて聴いた.OHPシートが大変綺麗に書かれ
ていた.内容については詳しくないこともあり敢えてふれない.世の中からほとんど放逐されかかったかに見えたOHPだが,この研究集会
はOHP使用者が異様に多かった.複雑な図を描く人が多いからだろうか? 僕はそろそろOHPから「足を洗おう」と思っていた
のだが,この分なら,しばらくは行けるだろうかと思い直す.
開催地の広島大学について.キャンパスの美しさは,今まで行ったことのある大学の中では一番.
広島市からも離れた,西条という町からさらに高台に昇ったところにあり,ここまでくれば
俗世の塵を逃れることまちがいなし.但し,かなり寒い(人間活動が希薄なせいかとも思われる).
最近出来たものと思われるカフェがあって,広々しており,思考するに最適.べた誉めになってしまった
が,これも二日だけだから?
1月25日
最近肩がこる.といっても私は肩がこるという状態が何なのか正しく理解しているのか分からないので,より詳しく,
「肩甲骨のあいだの辺りの筋肉に不愉快で持続的な,長時間を目を酷使した後に目に感じられるものとおそらく同類の,痛みがある,」
と述べておくことにする.肩こりとはこういう感じだろうか?
朝起きたときにはこの感じはなく,昼間に段々と痛みが増大してくるのが通例だ.
今日は私の「肩こり(?)」の発生機序を解明すべく,肩から背中にかけての筋肉を少し注意して,
―もちろん目によってではなく―「観察」してみることにした.
その結果…「座る」動作が,そもそもまずいように思われてきた.
腰掛けて,しばらく姿勢が固定しているうちに,ふと気が付くと「痛み度」が閾値を超えて上昇しているのだ.
すでに更新停止している「はてな」でバランスチェアの座り方について書いたことを思い出した.そうだ,バランスチェアだ!
値段を色々考慮したのち,ネットで早速購入手続き.「ここは学ぶ場所だ!」ということを明確化するために,あえて目を刺激する色をえらぶ.
三鷹から帰ってきてから,かなり自分の身体への意識が高い.
ところで,「メタコンパクト+可算コンパクト→コンパクト」は簡単に証明できるらしいよ.(こだま 22.9 に関して)
明日から4次元.
1月24日
位相空間論が好きなのか良く分からない."Counterexamples" に書かれた定義たち(位相空間の定義を含む)を書き写すのが
はじめは大変心地よかったのだが,段々苦痛になってきた.「X が σコンパクトとは,X のコンパクト集合から成る族
(K_n) が存在して云々」などと書いていると,もう段々嫌になる.この書き写し作業による進歩がわずかにもないことが確信できる.
これこそ私がいままで実践してきた非効率学習法なのだなあとつくづく思う.
1月23日
11時ちょうどの京王線の電車に乗るために,ここ5年くらい例がないほど激しく走った.
最初は,自分が自転車かなにかの乗り物に乗っているようにスイスイと進んで,おそろしく思われた.
駅の階段まで到達したとき,今度はいくら走りたいと思っても体がスローモーションのようにしか動かなくなり,おそろしく思われた.
電車の中では,吐き気におそわれた.M駅で何回も深呼吸をしたら,それが治癒したので,酸欠が原因だったらしい.
いま僕がここまで無理できるとは正直思っていなかった.ときどきこうやって自分の身体機能をチェックするのも悪くはない.
身体が脳に何かを入力するという働きに,以前より僕は信頼を寄せるようになった.かといっていわゆる運動をするわけでもないが.
1月22日
『「悪の数学/善の数学」とは何であったのか』というタイトルの論説を急に書きたくなった.が,拙速と思われてきた.やめておく.
今日はK理論の本を少し読んだ後で,"Counterexamples in Topology" を読んだ.
この種の本(他にこの種の本などあるのか?)は微に入り細にわたりチェックしてこそ意義がある.
そこで,定義を全部書き写すことにした.すべてが虚しい何かであることは重々承知している.
1月21日
複素数体 C, 一次元複素ベクトル空間 L,双対空間 L^*,自己準同型のなす空間 End(L),そして接空間 T_0(L)….
今日の数学は,様々な一次元空間たちの,ひたすらに観念的な相互関係に悩まされているだけだった.
しかし,この本を著者の意図通りに理解しようとするならば,やはり悩まされる必要はあったのだと気が付く.
ここでの誤解がもとで,1になるべき複素積分の値が0になってしまったので.
1月20日
数学を理解することは困難だ.そして数学をする個人Aと別の個人Bとの間にも,限りない隔たりが存在しているらしい.
この隔たりを埋めるには,大量に馬鹿な質問をすることが必要なのだが,こういうときに,「馬鹿なことを聞くようですが」
という接頭辞をつける習慣は,廃止するべきではないかと思う.とはいえ,適切な質問を思いつくレベルまで(私が)考えを進められなければ,
この習慣を廃止する甲斐が(私にとって)ないばかりか,ますますこの習慣の支配力が(私に対して)強まってしまうように思われる.
還暦記念…数学者で「大還暦」を最初に迎える人は誰だろう? それは存在するか? (Vietoris は惜しかった.)
1月18日
どうでもよいことの数々で構成された一日.BeeGees でも聞いてみる.
(ベクトル束の)同型類だけに依ることがわかりました.
結果として,いままでにやっていたことの簡単な応用だったのだが
概念装置が(ふだんの数学に比べて)多くて目が曇らされていたらしい.
(ほんとうは幾何的に本質的なところでもっと考えたいものだが.)
なんか Hatcher の方が断然読みやすいような気がしてきたがもう変えられん.
1月17日
K理論を相変わらず読んでいるが,どうも行間の補填に手間取る.
Combine this and ... という所で "this" を使う必要がない気がする.
こいつは同型類だけに依っている? なぜ?
…一度総復習したほうがいいかもわからない.
1月16日
昨日までの日記から推測されるように今日はとくにやるべきことはなかった.
大学に事務書類を出しに行き,駒場図書館に本を返却した(そこでは二日の延滞で督促メールが来る!).
ヤマダ電機に行き,使い終えたトナーカートリッジを回収箱に入れた.
窮屈で値段ばかり高い喫茶店で勉強して,損をした気分になった.
あらゆる意味で快適に勉強できる喫茶店は,まだ二つしか発見できていない.
(あまり多くの店を試したわけではない.)
1月15日
今週の仕事 3/3 終了.
セミナー.集合と位相のTA.
1月14日
今週の仕事 2/3 終了.
「黒板でかけばそんなに説明がむずかしくないが,字だけで書くのはむずかしい」ものを書く練習がまだ足りない.
提出した論文を見返して思う.
Dranishnikov が最近熱いらしい.
最近後輩の日記をみていることが多いけど,それによれば de Rham の定理の証明をいま授業でしているらしい.
ところで de Rham の定理に感動できるための準備は3年後期までにできているものなんだろうか.結構たいへんだと思う.
私がこの定理を習ったときの感想は,「よく分からないもの二つが定義され,それらが同型.どういうこと??」というものであった.
英語のジョークについて英語の先生にいくら熱心に説明されても笑えないのと似たようなもので大いに準備が必要である.
感動できても自慢することではないし,できなくても恥じることではないし,でも自慢もできず恥じもしなければ面白くない.
1月13日
今週の仕事 1/3 終了.
久々に聞いた,ねるねる魔女の「うまい!」
・うまいはずがない
・クレヨンしんちゃんのしんのすけの声になっている
・その他,筆舌に尽くしがたい凄味あり.芸術的.
そういえば「ねるねるねるね」系の菓子に「カチンコチン」というものがあった気がするのだが
ネット上に情報がみつからない.確かにCMのインパクトでは負けていたが.
1月12日
不安で仕事が手につかなくなった.K-theory も読めない.何もできない.
あきらめて,「ねるねるねるね」のCM動画などを見る.
これこそ「怪しげなもの」の結晶,精髄,権化,デパート,総合商社!
ついでに,70年代の国鉄電車に労働組合がかいた落書きの映像.消さずに走っているのがすごい.
今日は爆問学問は「成人の日特集」だったが,
出演者が永遠のこどもみたいな人ばっかりだったからか(?),
「ここにいる人も大人になったと思ったのは40すぎてからだ.まあ焦るな」
というような結論であった.
若者に模範的意見を言わせるだけだったNHKにとって革命的出来事であろう.
最初に何を言うか.
「最近K理論の勉強をしております.理由は特にないです.」
たぶんそんなこと言わないし.
明日は一気に突き抜けたいものである.
1月10日
三鷹から帰ってきました.昨日はひとりで部屋を使わせていただきました.
バーのカウンターみたいなところに座って勉強しました.
久しぶりに,一日中数学に集中できた気がします.
コーラをたくさん飲みました.
なんとなく元気です.
そしてその後も,今日という日は長く続いた,いつになく長かったと感じる.
1月6日
今日は親に八つ当たりをしてしまった.
ふつう,そんなことはウェブ日記に書かないものだ.
二十七にもなる者のすることであろうか? 恥ずかしいと思うべきかもしれない.
しかし書いてみることにしよう.(きっと恥ずかしくなるから.)
確かに,三年をそれに費やしてきたというほどの重みを,論文提出のときには感じなかった.
そこに用意されていた,自分とは何の関係もないのかもしれない紙の束を,ひょいと提出した,こういう実感があるのは事実である.
その背景には,論文の内容がかならずしも本意なものではなかった,というのがある.
客観的には目標を高く設定しすぎたというのもあるかもしれないが,方針転換をせまられた時はまさに断腸の思いであった.
それからというもの,頭も働かなくなり,現実感が薄くなり,時には世のすべてが私には無縁の何かに思えるほどになった.
ああ,私さえ存在しなければこの世なんか存在しないのに! うらめしい! 切実で,ありきたりな叫びを発するようになった.
こうした状況で数学の勉強や研究に従前のように打ち込めないということに関して…私は「八つ当たり」したのである.
「論文を書いたのは,私ではなく,私から分離してきたロボットである!」「最近,自分ではない何かが物事をやっているようで虚しい!」
そんなことを寝る前に喚き散らした.ああ,何たる親不孝.
「人に迷惑をかけずに生きることはできない」は事実でも,もうその次の瞬間に同じフレーズが傲慢の正当化になりうるわけだ.
今日は太陽の光がまぶしい.七草粥をたべた.少し落ち着いたら,また学問にもどろうではないか.
1月5日
もっと意識レベルの高い時間,明晰な時間を長くとらなければならない.
せっかく時間を与えられているのだから.
家のレーザープリンタで印刷した論文が反ってしまっているので,
研究成果報告書,広辞苑,漢和中辞典,などで重石をかけている.
明日には,おおよそ平らになって提出できると思う.
1月4日
K-theory を相変わらず読んでいる.読みたいものはいろいろあるが,とりあえずこの時期はこれに決めた (non-canonical に).
今日体験したことが「思い出になる」とか,
今日やったことが将来に結果をもたらすとか,
明日や一週間後は何をする予定であるとか,
そういったことへのリアリティが昨夏以降,かなり薄い.
これを病気とするかは定義の問題であるが,一応病気ではないというのが現時点での判断である.
まあ,とりあえずやるべきことは間違いなくやっているから最低線をクリアしているとはおもうが.
夜,茂木健一郎「生きて死ぬ私」をごろ寝しながら読む.
次の一節はすごい.
『もはや,キリストの教義も,ブッダの教義も,私たちの持っている宇宙や人間に関する知識とは相容れないものになってしまった.
もし,次の宗教的天才が現れるとしたら,その人は,今日の最高の知性でさえ納得せざるをえないような,
世界と人間のあり方に関する新しいシナリオを提示する人となるだろう.
そして,その教義は,現在,私たちが持っている宇宙や人間の成り立ちに関する知識と整合性を持つものでなければならないだろう.』
少しだけほっとした.昔の知識水準では果たすことができた役割を今の宗教は果たすことができていない,
したがって,昔のような意味では宗教はこんにち存在していない…つまり,救いのないことはある意味仕方がないことだ,ということに気付いたので.
1月3日
アティヤの K-theory を読んでいる.理由はない.
たいへん華麗に書かれているため,
あるいは理論そのものがたいへん華麗であるために,
私の頭脳から華麗に流出してしまうかもしれない.
しかし,流出しようがしまいがそんなことは数学をするときには関係ないのである.
1月2日
初詣に行った.ちなみに昨日も初詣に行った.
特記事項はないが大晦日は紅白歌合戦を全く見なかった.
L.C.Siebenmann の講義の映像があるんですね.
富士山が見えた.
初喫茶店で数学をした.
風がふきわたる.明日が来るだろう.
1月1日
あけましておめでとうございます
正月らしい緊張感を見出すのは,年々難しくなっている.
ショッピングモールは開いていて車は普段どおり走っている.
父母の小さい頃は正月はみんな親戚回りをして,ヨッパライになるほどもてなされて帰ってきたという.
鏡餅は家の中の何箇所にも置かれていて,床の間,神棚のほか,鏡台や勉強机の上にすら置かれていたという.
鏡餅の下にはウラジロを敷き,干し柿を添える.ウラジロは家の裏手から取ってくる.
こういう儀礼のひとつひとつを引き剥がしていくと,実は何も残っていない…そこには冬の一日があるだけである!
どんなつまらない儀礼でも,それがないよりはましなものだ.
数学をする営みも様々な儀礼に彩られている,いや,もっと彩られるべきではないか.一年がはじまった.
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