今年度は今日でおわりである.別に書くことはない.今日は寒かった.おかげで,桜も満開の状態で,ふみとどまっている.
桜の花びらは本来一枚ずつ落ちるもので,五枚まとめて落ちるのは鳥が食いちぎったものだと聞いたが,本当だろうか.
数理の図書館で本を借りると,大学のハンコが隣のページに写らないようにはさんだ吸い取り紙が,しばしばそのままになっている.
吸い取り紙に専用のものがある訳ではなく,その本がやってきた時代の有り合わせの紙が使われる.
西洋に浮世絵が入ってきたきっかけは,日本の陶器類を包む詰め物としてであったというが,
それと似たような話で,この紙切れも,しだいに史料としての価値が増してきているのではなかろうか?
「××粉砕!」などと印字された学生運動のビラの切れ端が入っていることなどは珍しくない.
僕の借りる本はマイナーな誰も読まない本が多いから,余計そうしたものを目にする機会は多い.
この前借りた本には,レクチャーノート(の印刷を失敗したもの?)の一部と思われるものが入っていた.
「連接層F」「基本近傍系」などの字が読める.なんとなく捨てるのも勿体なく,
透明テープで両面から挟み込んで,簡単なラミネートをしてみた.しおりなどに使えるかもしれない.
それが史料としての価値を尊重していることになるのか,はなはだ疑問であるが.
今日は○○さんの送別会に行った.
僕は「知るは一時の恥」をモットーにしているので,
○○○○○○○の○○○○は誰ですかと,
前から顔はよく知っているけれど名前を知らない事務の人Aさんに聞いた.
これはかなり勇気ある発言に聞こえたらしい.
Aさんは30秒くらい「ちょww」となったあと「面白いよ」と言った.(僕はちっとも面白くない.)
そのあとぽつりと○○○○は○先生だよと教えてくれた.
今にして思えば,それよりAさんの名前を聞くべきだったのだが.会話がはずめばはずむほど,聞けない.
トポロジー(所謂位相幾何学も位相空間論も)で絵を描くのは分かった積もりになるためのただの便宜という見方もあると思います.
僕の場合,便宜などというものではなくて,数学的内容をあらわした絵を自分で描いているときにこそ,たいへん喜びを感じます.
実用の問題と美的問題で,そうした絵にはしばしば,色鉛筆などで色をつけることになる.
そうするとますます絵に愛着ができてしまい,おまえ数学やってるんじゃないのか,とか自分に言いたくなることもあります.
結局そんな馬鹿みたいな理由で,トポロジーを現在学んだり研究の真似事をしたりしているんじゃないかとすらおもう.
ちなみに,絵を描いているときに,その絵で何かを誤魔化してるんじゃないかと思うときがある.
逆にそういう場合はしめたものと思う.
問題の絵が論理的に言い表していることが実際には何なのか,
それを書き下す試みをするのも,僕にとっては,どういう訳か楽しい.
この楽しさに関してあまりうまく説明できたためしがない.
ああ,これこそ,ありがちな自己満足の落とし穴ではないか!
ところで,今はノートの三分の一ページほどに色鉛筆で描き込んだ内容を
絵無しで書き下しておかしくないかを確認している.
絵がよく描けていても隅々まで論理的な文章で書けなければそれまでである.
明日くらいに破綻が見つかりそうな予感がするのでいま書いておきます.
つくばに行った.発表というより,今年になってから勉強したり考えたりしたことについての漫談になってしまった.
いままで考えていたことが自明かと思ったり,やっぱり自明ではないの
かと思ったり,でもそういうことを安心して考えていられるのはなぜだろう.安心していいはずはないのに.
今日は製本の仕上がりが良かったのでひとり悦に入った.
別に今日の出来事には関係ないんだけど,18日に紹介した「自動車の話」には,峠道でトラックを襲う山賊がいる,
と書いてあったのを思い出した.出版時期から考えると1950年頃の話らしい.山賊って意外と最近までいたんだなあと思う.
これがハウスドルフ化?
Corollary 2.13 に(ハウスドルフ空間の圏)→(位相空間の圏)の左随伴関手があると書かれている.3月3日の日記参照.
立川に行った.立川は駅ビルと伊勢丹を見て回るだけで,結構楽しめる.まだよく見ていないけれど駅ナカもある.
こういうものの多くが過去十年の間に出来たものだ.立川はかなり急速に発展したと言ってもいいと思う.
渋谷みたいに,駅前で待ち構えてナンパしたいふうの人もいる.以前には見なかった光景だ.
確かに,行きかう人の数や年齢層からみてもそういう場所になっておかしくはない.
書店も面白かった.「ポアンカレ予想」を立ち読みした.
「復刻版 岩波写真文庫」も面白い.自動車の話など.
このままではブレーキの無い車になるところであった.
コンパクト開位相って変な定義だけど,その導入のときにK澄先生は「広義一様収束の位相」とプリントに書いてくださった.
そして,ある条件下で広義一様収束の位相に実際になっていることを,問題に出てもいないのに演習で証明したのでした.
そのため,いまでも自然な位相かなと思って安心できています.もちろん,より「理論的」な正当化も色々目にはするけど.
数学のことを書いた自分の文章を見ていると,むかむかして仕様が無い.何だこれは.
この仕様の無いのが自分だ.一日一日,これから脱皮しているものと信じるのだ.
時に.
僕は花粉症歴6年くらいになろうとしているが,今年は花粉症の調子がたいへん良い.
もうピークに近いらしいが,深刻な鼻づまりが起きていない.なぜか.
いくつか思い当たるところはあって,第一に,経験を積むうちに,無意識に花粉を避ける行動をとるようになったこと.
第二に,小さめの立体マスク・目薬・空気清浄機などのテクノロジー.
第三に,あまりの効き目の無さに去年春限りでやめた減感作療法の注射が今頃になって効いているという可能性.
三番目の可能性はあるんだろうか.ともあれこのままの調子が続くことを願っている.
代数的トポロジーの教科書は,代数的な結果が幾何的な結果(端的にいうと,低次元の場合は図に描けるような結果)
をもたらすのか,ちゃんと書いていないものが多いと思う.その辺りが実は,一番面白いんじゃないかと思うのだが.
ホイットニーのからくりもそういう話だし.
最近,ビングの本を読んでいる.点集合・PLトポロジーを中心に扱い,
代数的トポロジーの準備はほとんどしていない(し,使わない)という特異な展開の,3次元多様体の本です.
だから,絡み数の扱いが,悪く言えばその場しのぎ,アドホックなものだ.
けれどもその辺を外部参照せず,独自の「素朴ホモロジー論」を展開しているのは興味深い.
具体的には,文字通り単体の和集合で表された図形をチェインと呼ぶことで
Z/2Z 係数ホモロジー論にあたるものを展開して,「Z/2 絡み数(絡んでる/絡んでない)」
も R^3 内の単純閉曲線に限定して定義している.
正直に告白すると,証明を追ったという意味でちゃんと知っている絡みの概念は僕にとってはこれだけ.
で,ビングさんは絡み数の節の最後でちらっと Z/2 係数ホモロジー群の概念を紹介して
「ホモロジー群は,その幾何学的な含意よりも道具の研究に関心をもつ代数的傾向の人々により,より大規模に使われているようだ.」
と書いておられる.ホモロジー代数などはどうなるんでしょうか.でも,この本はそれでいいような気がする.
色鉛筆を削っている間がいちばん生きている感じがする.
難しいことは僕には書けませんごめんなさい.
今日はいきなり後輩の宴席に飛び込んだ.缶チューハイ,さきいか,柿ピーなどしか無かったので,
惣菜の差し入れは歓迎されたように思われた.けれども共有すべき何か重要な前提が僕には欠落してるんじゃないかと思った.
そして自分が発信すべき学問的な考えは検証も受けていなければ言語的実体もないことが分かり,再び失望した.
「絵に描いた通りのことが実際に成立していることの証明」についての続き.
本質的に何が証明されるべきことなのか,すべての結論の出ている図上では分からないし,
かといって図を見なければ,尚の事,分からない.
いままでの経験からいうと,適切に描かれた絵を,すでに証明された事実のうち適切なものによって解釈すると,
証明が完成する,という算段になるらしい.
しかし,どうすれば適切に絵を描け,適切な事実を思い出せるかは全く分かっていないから,
少なくとも僕の場合,時間は滅法長くかかることになるのが普通である.
しかしながら,昨日書いたような類の証明は精神的消耗が激しいのもまた事実.
僕は,証明の中でも「絵に描いた通りのことが実際に成立していることの証明」はとりわけ楽しいと思う.
論理に則って扱う以外に方法のないものを扱う時に論理的になるのは当たり前で,別に普通だと思うけど,
既に言葉で述べられたことだけから形式的に図上の「事実」が導かれたときには論理が輝いて見える,気がする.
タラちゃんはサザエさんの登場人物の中でいちばん数学ができる,ないし数学好きだと思う.
さっきから,タラちゃんがチラシの裏に二個のあずきを置いて,豆のまわりに鉛筆でマルを描いて,
「僕にも分離できるです♪」とか言ってうれしそうにしている映像が頭の中で繰り返されている.
この役回りは,タラオ以外にはつとまらぬ.
いや,最近ハウスドルフとか習ったばかりの人と飲み会に行ったので,なんかそんなのが思い浮かんだんですが.
ま,つまんないすね
今日は朝7時に起きて試験監督をした上に,
Mさんのお話まで聞きに行って,稀に見る色彩に富んだ一日だった.
普段はノートに自分が書いた変な絵に色彩を施して楽しむのがせいぜいなのだが.
規則正しい生活といっても実際には午前4時就寝,正午起床なので,今日は「規則」に反したことになります.
同相群の局所可縮性が Kirby-Siebenmann の多様体の分類(一時はこれをもって「トポロジーの死」と呼ぶ人もいたらしい)に一枚噛んでいるらしいことを知った.このはるけき頂に,生きている間に辿り着けるかも定かではないが,自分の勉強したことに結びつくと,なにか少し幸せになる.
さーて,明日は集合と位相の試験監督だ.はーさんは代数と幾何をなさったようで.おつかれさまです.
学位取得・就職祝賀パーティー.
位相空間の「ハウスドルフ化」のような構成はあるのか,と先輩に聞かれ,答えられず.
君の日記を見ているとひどく自虐的じゃないか,少しは楽しそうに書いたらどうなんだとの先輩の意見がありました.
いや,数学はとても楽しくやっているのです.でもあまり楽しいように書けないのです.
そして論文を書かなければならないのです.
それでええと,修論の返事は一年以上来ていない.催促しないといけないなあ.
前回催促したとき,さっさと返事しろ的なことも書いてしまったし,
おまけに相手のエディター氏は国内海外で二回も会っててきっと顔も覚えられてるし,
そして実は論文中で引用したいちばん重要な結果を証明したのがエディター氏だったりする.うう.
昔のことは僕にとっては昔のことなんだけど,日記の過去ログを見ると,そういうのが今の日記と並列的に見えるからちょっと妙な感じですね.
東大入試中ということで,学生証の呈示を求められ,きちんと(?)正門から入ったのに,立入禁止のテープが張ってあって数理棟に行けない.正門じゃなくていつもの道の方から入ることもできたのだろうか? 入り直そうかとも考えたが,面倒になって立入禁止線を二度も乗り越えて数理棟にたどり着いたのだった(たぶん偶数回乗り越える必要がある.トポロジー?).今日は悪いことをしました.ごめんなさい.
野性の従順化.(これはトポロジーです.)
テレビで親を失ったヒグマの子の母親代わりとなり,
野性のクマとして(人に従順なクマとしてではなく!)
生きる術を教えているという人の話が出てきた.世の中すごい人がいるもんだ.
位相多様体はもう出てきません.以下は可微分多様体のみを考えます.
という宣言の重みは増す一方なのです.
相模線は意外におもしろい.
わからん.クロス I してカラプスするのがいいか.
今日の爆問はスポーツのメンタルトレーニングの話でしたが数学にも通じる気がしました.
○○研究集会までに(何か分からないけど)成果を出して発表,という目標に研究集会を使うのもいいかもしれない.
僕は,秩序が支配するフィールドから漕ぎ出し,
やがて泥の中のごとき混沌をはいずり回ることになるのだ.
位相空間論,その土の薫りと懐かしさ,わが故郷.
さあいままさにその混沌に身を投ぜよ! 泥! 泥! 泥!
日向ぼっこの日.
夜はSO(3) の基本群 = Z/2Z の生成元のループがどうなってるか,それを二周すると自明になる様子を動画にするとどうなるか,などをいまさらながら考えた.
ノート PC をぶつけた.コンピューターそのものの破損はないようだけど,
ちょうつがい(?)にあたる部分がどこかねじ曲がっているらしく,
ディスプレイ部分を閉めたときに妙な動きをするようになった.
変な圧力をかかったりするとディスプレイに悪影響が出かねない.
そういう訳でノート PC を修理に出すことにした.
…と思ったのですが
さほど深刻な症状でもないので,しばらく PC は使い続けて,PC 断ちをしたいときに修理に出すのも一つの手かと思いました.
どうしようかな.
ていうかトーション読んでただけだし
ごめんなさい.だいぶ書くのをさぼりました.
トーション読書会終了.一つの区切りという感じです.
勉強して損はなかったと,思えると思う.
相変わらず気管支辺りに風邪が居座っているようなので,これをなんとかしたい.
体調不良で寝ていました.
寝ているのも退屈なので,トーションの本(符号を精密化)を少し,また初等的なトポロジーの本を少し読みました.
風邪を引きました.
トーション読書会の終わりから二回目(予定).
ドラームの定理がどのように偉いかの片鱗をかいまみた.遅いよ
トーション読み.
確定申告に行った.アレクサンダー多項式の計算の仕方を学んだ.爆問学問を見た.
t さんに「クロウヱル・フォックスの本て旧いですかね」と,いささか不躾な質問をしたことがありました.
もしかしたら今から読んでみるべきかもしれない.ただ一つの問題は時間である.
「なんでも相談室」にあるまじき専門性.
二月も三日目だよ.信じられるかね!
今日は近所の神社にラモスが来て節分会をしたらしい.
念のため繰り返しますと,ラモスです.
雪降ったけど人は集まったのかな.
多様体は位相多様体だと思っている人間としては,接ベクトルで向きを定義されるのはちょい困りんぐ.
ていうか,PL多様体だから,接ベクトル空間がそもそも平面っぽくなくて錐の形なんですよね.
(そういうのはベクトル空間じゃないから,単に接空間というのがいいのかな.)
そこで接ベクトルと呼ぶのは,おそらく幾何学者一般の知識もはみ出してる気がするんですが.
基本類を使った向きの定義で全部正当化するのも,時間があればできそうなんだけど.
そもそも僕の幾何学の勉強って,直観の正当化能力をつけることに異様に重点をおいてる気がする.
だから僕は進歩しない.
どうなることか.オタトークでした.
PL多様体のトーションで調子をあげたいところ.
今日は論文を投稿した.
ド・ラーム先生のフランス語を仏英翻訳サイトに打ち込みまくって読んでいる.
(ド・ラーム先生ごめんなさい.)
ところでこの方法は数学のフランス語を読む練習には悪くないと思った.
単語毎に一々辞書を引くよりよほど能率的だし,
そのつど対訳を書き込んでいけばそのうち基本語彙はどうにか覚えられそうである.
そういえばブルバキに出てきたような単語ばかりだったりするかもしれない.
ふらんつの補題が証明できた気がする.さて,とぽろじーに戻るぞ.
スナイダーのプレッツェルはおいしい.
数論の定理を理解しようとする.言語の壁(ふれんち).そして一年の微積の壁(アーベルの級数変形法).
集合と位相TAではなぜか僕が司会をすることになった.なんでも発表.
とーしょん読書会.
今日は論文審査の練習.自分の番はないけれど,まとまった話を聞けたので良かった.のざわ君は海外遠征へ.
ふかさわ君結婚式の二次会でコートを店に置き忘れてしまった.
のざわ君が持ち帰って数理に持ってきてくれた.ありがとう.
Can a small push send a mathematician out of society without leaving a vacancy?
僕が初めて通読した論文にはこんなことが書いてあったのですけど,深いですね.
今日は勉強できるコンディションをつくるのに時間がかかった.
微妙な難しさのことを考えて脳の働きを緩慢化し,緊張を解きほぐして電車で寝るという策略をとってみました.
Franz-Reidemeister torsion に関する理解は一ヶ月前の水準に恢復しました.
トーション10級です.ちなみにソロバンは小学5年に準2級だった気がします.
クラトフスキの本をひとりで読む時間があることが幸せってものかもしれないな.
午後のセミナーは面白かったので中座しなければならないのは残念でした.
なんでもセミナーの発表をしました.1月6日にしたのと同じ話です.
イプシロンデルタ(というかセミナーのほぼ全部)はメモを見てやりました.
ごめんなさい.
採点とかセミナーの準備.
論文誌のページが取れた.
はー載ってる.
冗談なのかクリックするまで分からなかったよ.
鋭意採点中.
ツォルンの補題だいぶ勉強したなー.
奇妙な数学
選択公理を使わなくては証明できない命題というのがあって,
たとえば選択公理そのものはそうであるということを I 君に習った.
ところで,選択公理は,選択公理を一回使うことで示せます.
では,選択公理を二回使わなければ,証明できない命題というのはあるのでしょうか?
たとえば,Tychonoff の定理は,僕の見た範囲では選択公理を二回使った証明しか知らないのです.
定式化はともかくとして,このようなことを研究している人はいるんでしょうかね?
選択公理→Zornの補題の証明は,
「方針くらい分かるし,その気になれば自分で再現できる」と思っていた.
ところが,一日やってもまだできない.いよいよ本に教わるべき時と思って
かつての愛読書である岩波基礎数学の「集合と位相」をみた.
やっぱり,大方針だけでは駄目でテクニックが二,三あるようだった.
Analysis Now の証明を久しぶりに見てみた.こっちは Zorn というよりむしろ
整列定理を証明してるんじゃないかという感じだった.また独特の記号が証明を難しく見せている.
素直な証明といえるのは基礎数学の方だけど,整列順序や整礎な関係が出てこないのに
一種の帰納法の原理が働いているようで,やっぱり不思議な感じだった.
Zorn はやっぱり難しいんでないの?
でも,置換公理と超限帰納的定義を使えば当たり前に見えるぞ.
うーむ…やっぱり「Vの字集合観」は強力なんだな….
もしかして教科書によくある証明は,集合論的にみれば
「ZF-Foundation-Replacement」で証明できていることが重要なんですか?
研究室のセミナー.5年もいるのに,僕にはよく分からないことが多すぎる.
もっとも,それぞれ一所懸命に考えて分かったことを,普段は別のことを勉強している自分が
そうやすやすと理解できることを期待するのが間違いなのかもしれないが.
TAをやっている演習は位相のところに入った.
ところで,「触点」はなぜか用語としてあまり使わない.内点は使うのに.
校正など.
今日はあまりやることなし.休養日.
昨日のつづきの話をした.
セミナーの前に喫茶店で準備をするのはなかなか悪くない.フレッシュネスバーガーもいい感じだ.
今日はセミナーの発表をした.位相空間論の「道具」がネック.
これは セミナー です. たべもの では ありません.
テレビで信長と秀吉と家康との,現代社会から見ての比較のようなテーマの番組を見た.
「話を聞いたことがある」から「自分でその話ができる」までの道のりは途方も無く長い.
おそらく歴史の話は一生できるようにならないだろう.数学の話もできるか非常にあやしい.
テレビを見すぎた.
久しぶりにそろばんで計算をした.1+2+…+100 を計算して 5050 になった.うれしい!
初詣.二日目終了.明日は定期を買う.
あけましておめでとうございます.
闘いの季節です.